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吉井簡易裁判所 昭和33年(ろ)5号 判決

被告人 内山繁治

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人は、一 昭和三十三年三月一日頃の正午頃浮羽郡吉井町鷹取農業池田文子方で同人所有の現金二千百円位在中のビニール製財布一個を、二 同月三日頃の午前十時頃右同町鷹取農業森田茂次郎方で同人所有の現金六百円位在中の貯金用竹筒一個をそれぞれ盗んだのである」と言うのであるが此各事実は次の各証拠を綜合して認められる。

訴因一の事実につき〈省略〉

訴因二の事実につき〈省略〉

処が鑑定人田中邦男の鑑定の結果によると被告人は精神薄弱でその智能、道徳的判断能力共に六才前後(普通児童の)の児童程度でありその精神薄弱は大脳の器質的変化にもとづくものでそれは幼いうち偶然脳の毀損を受けたため智能が発達しなくなつたものと認められ又特に奥村集作成の窃盗被告人内山繁治精神鑑定書(検第二十号)の記載によると被告人は盗みが悪いことは知つていて(感度は低劣であつても)もそれを抑える自制力がなく何の躊躇もなく習慣的に盗みを遂行しこれを語るにも大して後悔改悟の様子もない程自制力を欠き道徳的感情を主とする高等感情の欠陥の甚しい事が認められる即ち被告人の道徳的判断能力に依つてさえ行動する能力換言すれば被告人の有する事理の弁別に従つてさえ行為を為す能力を持つて居ないのである。

元来法規範は或行為の価値を決定する(例えば人を殺してはいけないものであると言う)評価規範としての面と禁止又は命令(斯様な行為はしてはいけない又は之に反した者を処罰すると言う)する命令規範(又は意思決定規範)との二面を持つのが原則である。

此命令規範又は意思決定規範としての法規範がその法規範によつて支配される協同体(国家)の各構成員の意思に対する命令又は禁止として働き各構成員の内心に適法な行為えの決意がなされるように従つて違法な行為えの決意に導びこうとする刺戟や動機を圧迫する等意思決定規範としての働きをするのである。

即ち意思決定規範として作用するときは法は我々の心理に働き掛け各人の心理内での一個の心理力として他の諸々の動機と或は協力し或は抗争して個々の意思決定の成立に参劃するのである。

従つて行為について諸般の事情(心神の状況、緊急状態、身分関係から来る人情等)によつて法の意思決定としての作用を期待することが不能の場合や薄弱な場合がある。

法の作用の期待出来ないものを非難することは不可能であり又無意味である。

結局非難可能性は法が意思決定に作用可能な場合即ち適法行為の期待可能な場合又その程度に応じて存するのである。

然るに被告人は前掲認定の通り智能、道徳的判断能力共に六才前後(勿論普通児童)の児童程度に過ぎない、その上その事理弁別の能力に従つてさえ行為を為す能力を持つていないのである。

心理学の立場から観て

一、新生児 生れてから三週間或は約一ヶ月(産科学では臍帯が落ちてその跡が治るまでの約十日間ないし二週間)

二、乳児 歩行及び話語の初まるまでの約一箇年半(離乳までとすれば約一箇年)

三、幼児 満六才の就学まで

四、児童 男子は大体十二才の終り女子は十一才の終りまで

右のように区分すれば被告人は児童にも達しない幼児の心理状態(前掲鑑定の結果によれば単なる習慣的経験的なことがらは或程度高い智能(十才位)を有するものと認められるが道徳的判断力が六才前後で其能力に従つて行為を為す能力は夫以下であるから適法行為の期待可能であるかどうかはこれによつて決定せらるべきものであつて右智能は右決定に関係はない)に在る六才前後の幼児に適法行為を期待することは到底不可能である殊に被告人は前掲の通り此六才前後の道徳的判断力に従つてさえ行為を為す能力を有しないのである。

此心理状態に在ることは前掲証拠を裏書するように被告人は父唯市の証言、前掲鑑定書、被告人の公判廷での供述等を綜合すると是迄数え切れない程の窃盗をしているのである、そうして公判廷での供述も一方で盗むことの悪いことは知つていると述べ一方では小使銭が無かつたので仕方がないとシヤシヤと述べるのである普通人の考えるように盗みが罪悪であると言う考えなど質的にも量的にも存在するとは認められない。

被告人の盗みが悪いと言う考えは普通人のその考え方とは似ても似つかぬものである。

その被告人の考え方が窃盗前科三犯となり数限りのない盗みとなつたのである被告人に刑罰は豆腐にかすがい糠に釘である。

之等の事実は正に被告人には適法行為の期待出来ないことを立証するのである。

刑法は今日の適法行為期待可能性の理論によつて立法されたものではないにしても刑罰が単なる法益侵害に対する反動ではなく目的を持つている以上犯人の行為時の心理状態によつて処遇を異にすべきは言うまでもない。

刑法は責任阻却事由として各場合を規定しているがそれが犯人の心理状態又は斯る場合は斯る心理状態であると言うことに基いて或は無罪とし或は減刑をしているのである。

そこで適法行為の期待可能論を明らかに持出したものではないが前掲の理念に因るものであると言うことに間違ないものと考えられる。従つて期待不能の場合は罰せず期待薄弱の場合は其程度に従つて減刑すべきものとしたものと解すべきである。

刑法が心神喪失者、心神耗弱者の責任を問はず又は軽減するのも此理念に因るものであるから心神の障礙の為め適法行為の期待不可能の場合が心神喪失であり心神の障礙がそれ程には達しないが然も適法行為の期待が甚だしく薄弱の場合が心神耗弱であると断じて間違ないものと考えられるのである。

刑法改正仮案第十四条に「心神の障礙に因り事理を弁別する能力なき者又は事理の弁別に従つて行為を為す能力なき者の行為は之を罰せず」と規定し現行法の解釈としてもこれと同様に解釈することは判例の一致する処である。

本件被告人の行為はまさに心神の障礙に因り事理を弁別する能力なき者の行為であり又被告人の持つ事理の弁別(有責の弁別力ではないが)力に従つてさえ行為を為す能力のなき者の行為であるから刑法第三十九条第一項の心神喪失者の行為に該当するのである。

依つて刑事訴訟法第三百三十六条前段によつて主文の通り判決する。

(裁判官 黒田実)

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